おかのうえ

 その日、仲間たちの溜まり場となっている友人の家で一人きり僕は横になっていた。時刻は深夜12時を廻ったところ。外は小雨。水をはじく車輪の音が小さな暗闇を包み込む。
 うつぶせになり目を閉じて耳をすませる。自分の体の重さ、体温の熱さを感じる。
 ふいに瞼の奥に遠い日の記憶が写し出される。幼い日に行った海の旅館の夜の記憶。
 家族の誰もが眠りにつき、音が失われる。わずかな寂しさの中で目を閉じる。しばらくすると波の足音が忍び寄ってくる。海が名残惜しそうに近づく音。夜の海の闇の底を想像する。不安が胸の奥から顔を出す。
 海は決してあの場所からこっちに来ることはできない。冷静に自分に言い聞かせる。
 同じ場所で足踏みを続ける波音。そして、次第にそれは小さくなり、やがて安らかな暗闇に僕は落ちていった。 
 雨を弾く車輪の音、寄せては返す波の音。その二つはいまの僕とあの日の僕の情景をつなげた。その情景が僕の感情を揺さぶる。遠い日への憧憬。あの時の僕が見た景色。それがすごく特別なものに思えた。
 どこかへ。僕の知らない風景を見に行きたい。過去への憧憬は未来への欲求へと形を変える。
 探しに行こう。瞼の裏に強烈な情景が浮かぶ瞬間を。
 そして、それを誰かに手渡すんだ。それをやるために僕はこの場所にいる。


 玄関の扉が開く音がした。
 「さぁ、鍋やるか!」
 俺の寝てる部屋の電気を無遠慮に付ける家主。
 そうだ。今日もあいつらと鍋をやるんだった。