意味もないし理由もない 覚悟だけはある

 俺は夜中に新青梅街道を自転車で疾走していた。
 その日、友人に自分の勘違いを正された。俺の生き方を否定された。完膚なきまでに。同士だと思っていたのは俺だけだった。
 自分の感情を捨てきれず、自分の目に写る世界を否定できず、大人になれないまま気が付いたら俺は25歳になっていた。しかし、自分が自分として生きていける場所を見つけた。だから俺は揺らぎながらも馬鹿みたいに自分を貫いていまも生きてる。
 そいつも捨てきれずにいると思っていた。でも、違った。そいつはそんなもん大事にしていなかった。くだらない青臭い感情だと切り捨てていた。
 それは別に悪いことじゃない。そんなものを大事に抱えても重過ぎるだけだ。自分に合った仕事を見つけて生きていくのがまともなんだろう。あいつは一人暮らしだ。生きていくだけでも一苦労なんだろう。
 そして、俺は走らざるをえなくなった。自分が覚悟を持った愚か者であることを証明するために。翌日は朝から仕事、その日も一日働いて帰ってきたばかり。翌日のバイトの集合場所でメンバーのチェックをするのは俺。遅刻は許されない。
 最高じゃないか。こんな日に意味もなく自転車で走るのは覚悟を持った本当の馬鹿だけだ。
 目的地にはすぐに決まった。先日、サイクリングで行った狭山湖だ。片道20km程度の距離。夜中の11時。俺は自転車にまたがった。
 「明日のバイトは大丈夫だろうか?道に迷ったらどうしよう」
 そんな弱気な言葉を押さえ込むようにひたすら走る。のんびりと自転車をこぐ会社帰りの人たちを見ては
 「俺は彼らとは違う。俺は馬鹿だ。俺にはできる」と自らに言い聞かせ走り続ける。
 1時間半走り続けて瑞穂町まで到達した。地図で調べてみると狭山湖の先まで来てしまっている。北上しつつ来た方向に戻る。
 だいたい狭山湖の真下まで来ただろうと思われる位置から北へとまっすぐに伸びる道へと入る。前方に広がるのは大きな木々に囲まれた闇。正直怖くなる。湖の周りはほとんど森の中だ。
 ライトを点滅から点灯へと切り替えて再び気合を入れなおす。1kmほど走り続けると街灯が一切なくなってしまった。どうしようか立ち止まり迷っていると後ろからパトカーが。
 「どちらへ向かっているのですか?」
 「狭山湖まで行きたいのですが」
 警察に話しかけられて安心したのは人生で初めてだ。
 「この先は山道が続いてまた青梅街道に戻るだけで狭山湖にはいけませんよ」
 それを聞いて僕の中で絶望と安心感が同時に湧き上がった。
 今日はもうここまでにしよう。この様子だと狭山湖に行こうにも道に街灯がない。
 そして、家へと帰り始める。
 2kmほど走ると「狭山湖←」の標識が目に飛び込んできた。再び湧き上がってくる衝動。この道は見覚えがある。俺は行かなくてはならないのではないか。
 意味のない強迫観念。無駄な自問自答。でも、これがあるから俺は俺でいられる。あいつと違う世界を見ていられる。
 俺は再び北上した。
 昼と夜。雰囲気は違っても見覚えのある景色が俺を安心させる。坂道を一息に昇りきる。ここから先が湖沿いの自転車道だ。狭山湖に着いたのだ。
 ここから先は案の定、街灯がない。しかし、今度は迷わなかった。躊躇することなくペダルを踏む。
 頼りになるのは自転車のライトだけ。自転車道を走っているので車に気を使う必要がないのが救いだ。木々に挟まれた道。左を見ても右を見ても闇。開けているのは道の上だけ。
 足元を照らすべきか道の先を照らすべきか悩む。闇という圧倒的な存在の前に本能的な恐怖を感じる。
 いくら走っても風景が変わらない。もしかしたら僕はぐるぐると湖の周りを廻っているのではないだろうか?引き返そうか?不安が押し寄せる。
 でもそれでは面白くないじゃないか。先に進みたい。この異常な空間をもっと楽しみたいだろ?
 「うぁああああ」
 声にならない声を上げ再び進む。闇に目が慣れたので思い切ってスピードを上げる。
 すると街灯のある開けた場所にたどり着いた。走り屋らしき人々がたむろしている。少しの安心感と自分と違う世界に住む人々に対する恐れ。早くここから去ろう。
 しかし、困ったことにここで道がいくつも分かれていてどっちに進めばいいのか分からない。しかも、自転車道がここからなくなっているので車道を走るしかない。さきほどからすれ違う車たちはものすごいスピードで走り抜けている。さすがに危険すぎる。もはや俺は泣きそうだった。
 どうしようかと辺りを見渡すと脇に一本細い道がある。進むとその先は橋になっており車道を上から横断できる。これが自転車道だ!
 そこからはほとんどが下り坂だった。先ほどから自転車道では誰一人としてすれ違っていていない。街灯もわずかだがここからは配置されている。思い切って全力で突っ走る。
 自分しかいないことへの孤独と同時に、一人きりだという安心感が何故か胸をいっぱいにした。
 「これは俺だけの景色だ。俺だけの恐怖だ!俺だけが知っている感情だ!馬鹿にしか味わえない世界だ!」
 叫びながら走り続ける。俺はもはや友人への怒りや迷いなどすべてなくなっていた。
 気が付くと大きな公園にたどり着いていた。綺麗に並んだ蛍光灯の明かりが舗装された道を照らしている。そして、その先には大きな湖が広がっていた。
 湖の中央には大きな橋が架かっている。街灯が対岸まで続いていた。
 綺麗だと純粋に思った。そして、これは人間が作り出した景色だと。
 そこには人は一人もいなかったけど俺は人間が好きだと、人間のいる場所で生きて行きたいと思った。
 そして、夢中でカメラのシャッターを切った。そして、橋の中央にチョークで一言書いた。
 「僕は走ったからここにいる」 
 橋を降りて街へと向かう。もう不安も怒りも俺の中にはない。ただただ穏やかな気分だった。
 街に出ると当たり前だが多くの人とすれ違った。そのすべてがなんだか特別に思えてうれしかった。踏み切りで工事をしているおじさんに思わず「お疲れ様です」と声をかけてしまった。できればすれ違う人全員に声をかけたい気分だった。
 今日、バイトに行ったら知っている人ばっかりだから挨拶がいくらでもできるな。
 そんなことを考えながら家まで走った。