終わった事のように語ると気が楽になる。

 「日本の政治は腐敗し行き詰まっている」「日本経済が破綻しそうである」と言われると何か複雑で難しい現実がそこに横たわっているような気がするが、100年後の教科書に「日本国は1990年以降傾き始め衰退の一途を辿り、2050年の世界恐慌を起に崩壊した」などと書かれるのだと想像すると、なんてことない単純なことのように思える。
 戦後からの起承転結の中の一つのプロセス。聡明期から過渡期へと移行し衰退し国は滅びる。歴史上で繰り返して来たことの焼き直しであると捉えれば何やら単純なこと用に思える。複雑で大きすぎて自分の手に負えないことは他人ごとのように距離を置いて悟ったふりをすれば良い。
 第二次世界大戦もいい加減遠い昔の歴史にしてしまえばいいのに。「日本は負けちまったんだな。なんだか悔しいな」とほんのり寂しい気持ちになり、活躍した英雄を称えるドラマに打ち震え、しかし、結局は負け戦なんだとやはり悲しくなり、それならばと栄光の記憶、日露戦争などを省みて東郷平八郎に思いを馳せたりすれば良い。
 などと言うと一部の人に怒られるのだろうか?政治も経済も歴史もよく分からん。よく分かる話をしよう。
 ライトノベルの話をしよう。
 僕はそもそもライトノベルの伝道者としてインターネットに颯爽と登場したのだ。僕の使命はライトノベルの伝導にある。
 ライトノベルとはなんだ?、ライトノベルは普通の小説と何が違うんだ?その境界線は何?とかいろいろ昔は考えたものだが、ライトノベルの何処がライトかってまず値段がライトだよね。
 他の小説は基本ハードカバー。だいたい1500円くらいで出てその後に文庫化されてリーズナブルなお値段になるわけだけど、ライトノベルは最初から文庫で500円くらい。ようするに出す方も買う方もリスクが少ない。
 「仲間たちには売れるはずないと反対された。流行りの設定でも、テーマでもない。果たしてこの本を出版して売れるだろうか?しかし、俺は自分の感性を信じる!絶対この作品は売れる!どうにかねじ込んで大量に刷ってやる!」
 ともし編集者が決断したとして、その時の値段が1000円違うなると、その覚悟の程もやはり1000円分違うのではないだろうか?
 買う側のリスクもそれは同じ。「500円ならまぁ外れてもいいか」と僕は結構適当にライトノベルを買う。
 ライトノベルがただただ消費されていくだけものなのか、そうでないのか。文章として、物語として低俗か否か。散々語られてきたが、圧倒的事実として値段が安い。故に軽い、安い、薄っぺらい、他の小説より劣っている。とか言い出す奴がいても良かったのではないだろうか。
 そう考えると講談社BOX星海社がかっこよく思えてきた。
 「クソみたいな箱に詰めて値段を上げてリスクを負って俺たちは戦う。それでも売れる作品を作る。俺たちはライトノベルの地平線を超える!」
 そんな太田さんの思いを僕は受け止めたい。