終わらない日常の中で
物語の落しどころというものを石黒正数という作家は探し続けていたのだと思う。
悪の組織が滅亡したあとのヒーローはどうすればいい?世界の終わりはどのように訪れれば面白いだろう?もし、唐突に共同生活をすることになった魔法使いの女の子がどんでもなく不細工だったら?
物語の行く末、結末を模索し続けた彼がたどり着いたのは廻り続ける商店街の日常だった。
デビュー作の「ヒーロー」では小さな楽しみと未来への期待を主人公は見つけただの学生へと戻っていく。漫画の面白さを追及して書いた(あとがきにて本人談)超能力者たちが島に取り残される話でも何一つ戦いは起こらず、物語も進まず、その日の夕ご飯の支度を手馴れたやりとりでこなす所で終わる。
結局、物語は日常へと帰っていくのだ。しかし、彼が結末の向こう側として描かなかった主人公たちの日常はとても眩しいもののように思える。
だから、この作品のタイトルそのものが彼の出した答えなんだろう。
”それでも町は廻っている”
探偵に憧れる高校生の歩鳥の目を通してみる商店街の日常は不思議なこと、面白いこと、楽しいことで溢れている。謎に目がない彼女は日常の中に物語の扉を見つけては片っ端から開いていく。
推理小説家に憧れる歩鳥に小説家のお姉さんがひとつアドバイスをする。
「”毎日が楽しい”その気持ちを言葉にしていくのが小説家の仕事なのよ」
言葉で小説を書く人、音を音楽に変える人、イメージを絵で描く人。みな日常の中に生きている。日常の中で感じたこと、そこで生まれた想い。それがその人だけの物語になる。
物語はいつしか終わる。それでも日常は続く。物語は生まれ続ける。