人間は体は冬眠しないけど心は冬眠しているんだ。

 春の柔らかな風に包まれると胸の奥から変なのが大量に湧いてくる。それは受験の前日のような得体の知れない焦燥感で、幼い頃に味わった遠足前のわくわくにも似ている。
 特別な何かが始まる前に感じる。あのよく分からないやつ。
  
 南風は始まりの合図。人や場所、音や言葉との出会いがすぐそこに迫っている。理由はどうでもいい。体がそう言っているのだ。「何かが始まるぞ!」と訴えかけてくるのだ。

 まず僕は心を軽くする。ごちゃごちゃした余計なものはいらない。楽しい!嬉しい!面白い!最高!だいたいそんくらいあればこの季節を生きるには十分だ。
 何かがあって楽しいのではなく、楽しいから何があっても楽しい。しかし、楽しいと思ったからには何かをしないと気がすまない。変なのが溢れて頭まで上り詰めて頭がむずむずしだす。そういう時は自転車に乗る。取り合えずペダルを漕ぐ。
 

 猫のあくび。でっかい雲。ふらふらと笑いながら下校する小学生たち。風に乗って目の中に飛び込んだ埃。
 「楽しい!」 

 変な名前の変な飲み屋の看板。グリコ・チョコレート・パイナップルを自転車に乗りながらやっている変な高校生。公園で漫才の練習をする大学生。
 「面白い!」

 疲れて入った喫茶店のマスターから聞く学生時代に高尾山に自転車で登った話。
 「俺もやりたい!」


 楽しいんだからどこに行っても楽しいし何に出会っても楽しい。
 春はすべてが「楽しい」から始まるんだ。
 春が来たらそれだけで、すべてがどうにかなるんだよ!